
先日、世界遺産なんかのTVを見ているときに、ふと思った事があります。
それは、「1000年後に、今の人々が感じているような、ロマンはあるのか?」と言う事です。
例えば、ピラミッドやマチュピチュ遺跡、モアイ像など、いまだによく分からないものが地球上には、まだまだたくさん溢れています。
いつ誰が何の為に作ったのか?その周りに、バラバラにちりばめられた、文字だの、破片だのを寄せ集め、考古学者は昔を推測するのです。(いつ考えても、楽しそうな職業です。)
これらの不可思議な物は決して、学者さんの為だけではなく、観光に行った我々も、「昔の人は凄いなー」などと感動できる訳です。
これらのロマン物は、数千年前に作られた物です。
石などでできた強固なものもありますが、ピラミッドのように少しずつ風化していき、残念ながらいつかは、無くなるでしょう。
そうすると、次の世代の物に「ロマン」を寄せたくなるのが人情ですが、そこでよく考えてください。
今の世の中に「数千年後まで残せるロマン」はあるでしょうか?
全てものは記録され、いつ誰が何のために作ったかすぐ分かります。
そして、そもそも数千年後まで存在する物自体が、ありますか?
そう考えると、未来の人類は、何の楽しみもなくなってしまいます。(考古学と言う学問自体、なくなってしまうかもしれません。)
そこで、僕は思うのです。
政府は、まったく分けの分からない馬鹿でかい物を、作ったらいいのではないかと。
昔の不可思議な物には、恐らく何らかの意味があったと思います。
崇拝の対象や、季節の把握、生活の環境作りなど、色々な要素があったのでしょう。
だから人は、それを解き明かしたくなるのです。
ただ、今の時代にそれをやってしまうと、数千年後まで「あぁ、これって、電卓とかいうやつでしょ。教科書に載ってたもん」と全然、面白くありません。
だから、あえてまったく意味のないもの、そして馬鹿でかい物を作るのです。
そうすると、現代人でも「何これ?」となります。
そして、その「何これ?」が数千年後まで続くのです。
さらに「デカイ」と言う事は、それだけで人目を引きます。
みんな、なぜか馬鹿でかい物が大好きです。
馬鹿でかいカボチャ、馬鹿でかいトレーラー、馬鹿でかいハンバーガーなど、「デカイ」物はよくニュースになります。
「この前さー、馬鹿でかいアゲハ蝶見つけたよー。羽が、うちわ位ありやがんの!」というと見んな、「へー」と興味津々で聞いてくれます。
なので、何でもいいんです。
例えば、大阪駅前の再開発地に、石を積み上げ、100mくらいの立方体を作るんです。
そうすると、今でも、「何を作りよんねん!」と話題になるだけでなく、逆にそれに勝手に意味付けしだす人が出てくるでしょう。
そうなると締めたもんです。
そしてこれは、現代にはまったく無意味で、コストがかかる物ですが、数千年後の日本の、観光資源になること間違いなしです。
「嘆きの壁」ではなく、大阪らしく「笑いの壁」と呼ばれ、若手芸人が壁に向かい漫才の練習に励み、近くではおばちゃんがたこ焼きを作り、おっちゃんが飲んだくれるという、なんともすばらしい環境ができるわけです。
こういう前向きな無駄が、将来の日本を救うのではないでしょうか?
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